簡単ほど難しい 引き算の効用

物事の裏表は実はつながっているのかもしれない。表と思ったものが裏だったり、裏と思ったはずが表だったり。わかっている(つもりの)ものがじつは理解できていない。「灯台下暗し」、ありふれた表現だが、今なおそれが最大の課題でもあるのだろう。

とかく人間は複雑なものほど意味があると思い込む傾向があるが、言葉による言明ひとつとっても、小難しい表現よりも、かんたんな表現ほど的をえているものだ。むしろよくわかっていないからこそ、回りくどい言い回しを使ってそれをごまかそうとする。その意味では、いらないものをきちんとそぎ落とせることこそが知性に他ならない。

モノゴトを端的に表現することは非常に難しい。短ければいいというものではないし、小難しい単語でごまかせるものではない。噛み砕くとはよく言われるけれども、とても厄介なプロセスである。前提として、きちんと自分自身で咀嚼できていなければ、どうにも噛み砕けないのだ。数字上の無駄はわかりやすく削れるかもしれないが、思考の無駄はそもそも無駄を特定すること自体困難だ。その上、ただ棒引きするのではなく、咀嚼し消化して、その結果としてスリム化される。

一見簡単に見えるものにこそ、その背後に膨大な推敲のプロセスを経て、最後の最後まで残ったエッセンスの密度が投影されているとみるべきだろう。背景をどれだけ想像させるか、それが引き算の醍醐味かもしれない。