オープン

主体性ありきか
人間は何でも自分の意思で決められるものだとの先入観がある。ゆえに、意思決定というととかく先鋭化された、切れ味の良い、大胆なものがもてはやされがちだ。しかし社会的生き物、経済的生き物という宿命を鑑みれば、相手や環境を無視できない。能動でもない受動でもない、中庸、両立な領域にこそ、意思決定を進め、それを具現していくフィールドなのではないか。主体性=善であるかのような単純化が、かえって意思決定を難しくしている可能性もある。とかくイエスかノーかと白黒つけたがる節があるが、多くの紐づきの中で意思決定することは、前向きな妥協をも織り込んだ、調整的プロセスであるのが実態であろう。

本質ありきか
本質ありきという考え方は、ある種の正解を求める思考と共通するので、かえって発想を狭めてしまう可能性をはらんでいる。経営は正解を求めるものではなく、状況に合わせてより適した選択を積み重ねていく不断の進化プロセスのようなものだ。原因と結果という線形図式で、ものごとを正確に「わかりたい」という欲求はわからないでもないが、何でもかんでも分かることから始めようとすると、「できる」をないがしろにしてしまう危険も大きい。