信頼、そして柔軟性

信頼はその人個人と結びつくことで強化される。その意味では、いわゆる普通の情報と、個人の顔が見える信頼情報は似て非なるものだ。情報はデータ的に均質ではない。意味あるもの、意味があると認められるだけの信頼情報が勝ち残る。そう考えると、情報にもアイデンティティが認められるのかもしれない。

フェイクニュースや情報の信ぴょう性についての話題が取り上げられる昨今であるが、これは必ずしも悪いことばかりではない。今は過渡期で、どうしても情報に振り回される傾向が強く出ているが、考えようによっては、情報を選別する能力を身に着けるチャンスともいえるのではないか。メディア情報を安易に受け入れて疑問など抱かなかったこれまでの慣習が見直されて、情報の多義性について、個々人が意識的に咀嚼し、消化できるようになれば、今の混乱はけっして無駄ではない。まだ情報化時代に十分適応できていないがゆえと前向きに捉えたい。

不正確な中であれば正確さは意味を持つが、正確さがデフォルトになったとき、それはあたり前として無価値に転じる。事実は伸び縮みしないが、われわれの思考は伸び縮みさせることが可能であるし、それが強みにもなる。正誤判断の相対的意義は低下し、事態の推移にいかにフィットさせられるか、もしくはいかに先んじて手を打てるか、はたまたいかなる組み合わせで様相を転じられるか、などが知の源泉となるだろう。つまり、固定化された知ではなく、動態的に紐づけられる知が差異を生む。伸縮とは柔軟性であり、また将来への敷衍力なのだ。