前提をきちんと疑えるか

ルールに縛られる、ルールに守られている、といったように、ともすると私たちは与えられるルールに粛々と従うことを善しとしてきた。一方で、将来をつくり出すということは、ルールづくりをも含めたトータルで、道筋を切り拓くことともいえる。とかく今ある基準を不動のアンカーとして視野を固定してしまいがちであるが、ルールを我がものとして消化する、体現するならば、もっと創造的にルールを使いこなすという視点が求められるだろう。

見えるものを見ようとしないことは批判され、見るべく努力することが求められるが、そもそも見えないものは話題に上るはずもない。われわれの認識や理解は経験をもとに構成されるのであるから、もっと経験を積めというのは道理ではある。一方で経験からは導けない領域が厳然と存在すること、そしてそれを見えないながらも認めること。とかく経験は体現してしまっているがゆえに大きな錯誤の引き金になる。