科学万能の時代にあっては、感情などというあいまいなものは一段低くみられる傾向にあった。しかし、わかりやすい差別化が一巡した時代にあっては、あいまいという一見ネガティブな特性がかえって意味をもってくる。
リアリティとは実物としてそれがあるだけの話ではない。そこに自身を投影して一体的つながりを実感できるかどうか、それが問われている。ゆえに、その結節点をつくるものが感情なのだ。
あるとかないとか、即物的に済ませられるならば、それは独立した存在感はあっても、紐づけによる広がりがない。自身と紐づかないものは、刹那的であって、持続性は期待できない。つまり、次をつくり出す駆動力、エンジンになるもののカギは感情領域にあるということだ。
一方、夏目氏が店を始めた背景にあるのは、「白T好きを増やしたい」というシンプルかつ、心からの願いだ。そこに「顧客はこんな商品を求めているだろう」という迎合の精神はない。
情報源: 「白T専門店」が示唆するアパレルの未来 (2ページ目):日経ビジネスオンライン
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最も避けるべきは、あれもこれもと欲張ることで総花的になり、あいまいさに主旨が埋もれてしまうことだ。
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